2007 年02 月20 日
道具ってどんな気持ちなのかな
ここではハサミを例として道具の気持ちを考えてみるA.私を選んでくれてありがとう(使用者に対する感謝)
B.何で俺がお前を手伝わないといけないんだ(使用者に対する苛立ち)
C.切るのは楽しいなー(私的な喜び)
D.切るのは嫌いじゃないけど、もっと他の事をしたい(私的な悲しみ)
など。
道具に気持ちなど無いと一蹴してしまうのはここでは禁忌である。そんな現実的な世界を「仮定の話」に認めてしまったら現実なんてつまらない。架空がある現実の方がよほど現実的に楽しいはずだ。
ではここでニュアンスはそのままで、例を変えた、道具扱いされる人間の気持ちを考えてみる。
A.私を選んでくれてありがとう(使用者に対する感謝)
B.何で俺がお前を手伝わないといけないんだ(使用者に対する苛立ち)
C.○○するのは楽しいなー(私的な喜び)
D.○○するのは嫌いじゃないけど、もっと他の事をしたい(私的な悲しみ)
など。
操る方としては、対象にAかCを感じさせる必要がある。だがBやDを感じ始めた時、その道具扱いされた人間は反感を抱くに違いない。
操られる方はAやCを思い続ける事が出来るのでしょうかね。私は、昔それが出来た素晴らしい偽善者だったんですが、最近はどうもすぐにBやDに走ってしまう。それも悪く無いと思うんですが、どうも失うものが出てくるらしいから困ります。
投稿者:未定at 12 :33| 戯言 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )